一般財団法人科学技術振興会について

本財団は昭和18年9月14日に創設されました。当時我が国は太平洋戦争の戦局が厳しく、国は戦いに必要なものを国民に求め、国民も求められれば進んでそれに応えておりました。創設者小玉美雄先生は、自身の発明の一つ、メッキの技術で起こした日本硬化冶金を経営しておりました。その中核でありますシリンダー内壁へのクロムメッキの特許の公開を、国から求められそれに応じました。航空機のエンジンに使用するためです。その功績を多とした国は、報奨金5万円(現在の価値としては2〜3億円)を下賜しました。それを基本金として設立されましたのが「財団法人科学技術振興会」です。

小玉先生はドイツ留学の後、大正から昭和の初期に味の素など多くの化学系の企業で研究開発の部署を立ち上げ・指導し、その業績は今日高く評価されております。中でも昭和電工での貢献は高く、昭和13年の同社の記録には、参与に就任していることが残されております。

小玉先生のモットーは「この世の中に無駄なものは何一つない」ですが、それが具現化しましたのが、第二次世界大戦の前後にメッキ廃液の中に多くの希少金属が含まれ、それが廃液として捨てられていることに注目して、そこから多くの希少金属を回収する技術を指導することを、全国規模で行うことが、本財団の戦後の公益事業の中心でした。今日的に見れば、メッキ工場廃液による公害を阻止し、高価格物資のニッケルやクロムなどの再利用、リサイクルを先行実施していたことになります。メッキ産業にすれば、まさに無から富を作り出してくれており、後に言う公害企業にならずにすんでいたことになります。

戦後小玉先生は、財界人として、特に日本工業倶楽部の有力メンバーの一人として活躍しておりましたが、同時に物理学校が東京理科大学として学校法人化するときの創設理事の一人であり、また公益財団法人本多記念会(鋼鉄の父 本多光太郎先生を顕彰)では昭和51年には理事長に就任しております。

本財団では、昭和18年の創設から亡くなります昭和59年まで一貫して理事長として、多くの企業が直面する困難な問題に対し相談に乗り、その解決を本財団が担うことで、社会的に多くの貢献をするとともに、高輪にありましたご自宅に隣接して4階建ての研究所を有し、企業からの問題点の解決を、科学的に対応しておりました。

小玉美雄先生のモットーは、その後の歴代の理事長並びにそれを支える多くの役員により今日に引き継がれております。ここに後を担った理事長を挙げます。(カッコ内は就任時の職名)第二代小玉剛二先生(米国ユタ大学教授)、第三代橘髙重義先生(東京理科大学理事長)、幡野純先生(東京理科大学常務理事)、小玉ヒロ子先生(日本硬化冶金社長)です。この方たちの後を担い平成16年から第六代亀田光昭(東京理科大学顧問)が理事長に就任しております。

一般財団法人 科学技術振興会
理事長 理学博士

亀田 光昭

亀田 光昭 略歴
1943年(昭和18年)12月22日 生
学歴  1967年 3月 東京理科大学理学部卒業
    1989年 3月 理学博士
経歴  1976年 6月 米国ユタ大学化学科リサーチフェロー
    1990年 4月 川村短期大学教授(化学、生活環境論担当)
    2000年 4月 川村学園女子大学人間文化学部教授(生活環境学、生活科学担当)
    2004年 4月 学校法人東京理科大学顧問
    2006年 4月 東京経営短期大学学長